十五夜のうさぎの由来は?物語を教えて?歌詞はどんな?
十五夜にちなんで「お月様のうさぎ」について書いてみたいと思います。
ちなみに、満月のお月様を観たときに、うさぎは見えましたか?
私が、子供の頃には話を聞いて観てみたら、チョッとゆがんだうさぎが杵で餅つきをしているように見えたのを覚えています。
最近は見ていないからどうだろう?
実際、大人になって自分の子供に「お月様のうさぎって、どれ?」と聞かれても「分からないから説明できない」という人も多いようです。
大人になると見えにくくなってしまうのかもしれません。
ちなみに海外でも、お月様の模様を「女性の横顔、ほえるライオン、ハサミの大きな蟹、餅つきうさぎ、薬草つきうさぎ」などで表現しています。
十五夜のうさぎの由来って何?
十五夜のうさぎの由来って何なんでしょう?
実は、仏教的なお話が元々の由来です。
インドの「ジャータカ」という仏教説話集の、第316のお話として「ササジャータカ」というお話があります。
自らを犠牲にしても人のためにつくす行為の大切さを伝えた内容ですが、その概要が次のとおりです。
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昔、森に賢いウサギが住んでいて、そのウサギには、サルと山犬とカワウソの友達がいました。
これら四匹の動物たちは、みんなとても賢く、お互いに自分のえさを取る場所を決めていて、仲間とえさを奪い合うこともなく、仲良く暮らしていました。
夕暮れになると一か所に集まって、ウサギはみんなに「貧しく食を請う人や、困っている者に布施をしなくてはいけないよ。」と言い聞かせました。
ある日、ウサギは明日が布施をする日だと思いだし、「明日は食を請う人に施しを行う日だから、しっかりと教えを守って施しをすれば、きっといいことがあるから、みんな自分の食べ物を分けてやるのだよ。」と三匹に言いました。
翌日に、カワウソは早起きして、獲物を探しにガンジス河の岸へやって来て、漁師が隠していた魚を見つけて「この魚はだれのですか。」と大声で叫んでみたが誰も来なかったので、その魚を自分の家に持ち帰りました。
山犬も獲物を探し歩いているうちに、番人の小屋に、2くしの肉と大トカゲと、牛乳の入ったつぼとを見つけて、「これはだれのですか。」と大声で叫んでみたが誰も来なかったので、自分の家に持ち帰りました。
サルは森へ出かけていき、マンゴーを持ち帰りました。
賢いウサギは、今の季節自分の食べる物にも困っていましたが、明日は寝床に敷いてあるダッパ草を食べようと思いながら、やぶの中で寝ながら考えました。
「わたしの家に修行者の方が托鉢に見えても、何も無いから、どなたか施しを求めたら、わたしの体の肉をあげることにしよう。」と、
天界の帝釈天にその気持ちが伝わり、ウサギたちの気持ちを試してみようと、僧侶の姿になって、まず下界のカワウソの家の前に立って施しを求めました。
僧侶は「わたしに、なにか食べ物がいただけましたらありがたいことでございます。」といいました。
「ガンジスの河からとった魚が、ここにあります。これがわたしの布施です。召し上がれ」とカワウソは言いました。
そして、僧侶は次に山犬の家の前に立って、カワウソのときと同じように言いました。
「夕げの支度に取ってきた2くしの肉と大トカゲ、そしてつぼ一杯の牛乳を、わたしはあなたに、布施します。さあ召し上がれ」と山犬が言いました。
そして、次に僧侶はサルの所へ行き、カワウソのときと同じように言いました。
「おいしく熟れたマンゴーの実と冷たい水と、涼しい木陰をわたしは布施します。さあ召し上がれ」とサルは言いました。
そして、僧侶は最後にウサギの所へ行き「なにか、食べ物を施していただきたいのです。」といいました。
「ようこそおいでくださいました。今のわたしには何もありません。ですが、あなたは戒めを守られるお方ですので、生き物を殺すことはなさらないでしょう。あなたは薪を集めて火を起こして、わたしにお知らせください。わたしはその火の中に飛び込みます。わたしの体が焼けたら、その肉を食べて、修行に励んでください。」
そうウサギは言いました。
僧侶は、ウサギの言葉を聞くと、ただ黙ってうなずいて、神の力で火を起こしました。
ウサギはえ燃える火に近寄って、優しい微笑を浮かべながら堂々と、真っ赤な火の中に飛び込みました。
しかし、どうしたことなのか燃え盛る火は、ウサギの体の毛穴一つも焼くことはできません。
ウサギは僧侶に何故なのか聞きました。
「許してください。わたしはあなたを試したのです。」僧侶はウサギの前で手を合わせました。
それを聞くと、ウサギは少し笑顔を見せて「たとえ世界中からどなたがやって来て、わたしをいくら試そうとしても、わたしの中に、施しをいやがる気持ちを見つけることはできないでしょう。」といいました。
僧侶は「あなたのりっぱな行いが、世界のどこにも知れ渡りますように。」といって、周囲の山々に手を差し出すと山々から泥を絞り出し、その泥で月の表面にウサギの姿を描きました。
僧侶は、森のやぶの中に若い柔らかなダッパ草でウサギに寝床を作って寝させ、そのあと、帝釈天の姿にもどって去っていったといいます。
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なんかいいお話ですね。
十五夜のうさぎの物語を教えて?
十五夜のうさぎの由来がインドの仏教説話ということでしたが、その説話を、日本の「今昔物語」で取り上げて紹介していることで日本へも広まったということです。
日本で広まっている十五夜のお月様のうさぎのお話は、下の内容です。
・・・・・「今昔物語:三の獣」・・・・・
昔、天竺に「うさぎ・きつね・さる」の三匹の獣がいました。
「私たちは前世で生物を哀れまず、財産を惜しんで他人に施さなかったので、地獄に堕ちて長い苦しみを受け、更に、このように獣として生まれたから、これからはこの身を捨てる覚悟で善行を行おう」
と三匹は熱心に仏教の修行をして、自分の事を顧みずに他の二匹の事を優先していました。
その三匹の様子を帝釈天(梵天と並ぶ仏教の二大護法善神)が見て感心しました。
「人間として生まれてきた者でさえ、無益な殺生をしたり、他人の財産を奪ったり、顔では笑っていても心の内では悪意を抱いていたり、ひどい有様なのに獣とはいえ誠に殊勝な心掛けであるが、しかし、本当に仏の心を抱いているのか一つ試してみよう。」
と帝釈天は、弱々しい老人に姿を変えて、三匹の前に現れました。
「わたしは疲れ果てた老いぼれで、子どももいない上に家も貧しく食事もままならない。」
「聞いた話では、あなた達は哀れみの心が深いと聞いている。慈悲の心があるのならばこのわたしを養ってもらえぬだろうか?」と懇願しました。
三匹は「こちらこそ願っても無い事。すぐにでも養って差し上げますよ」と受け入れました。
さるは木に登り、木の実や果物、山の幸を取り、また里に出て、野菜や穀物などを取ってきて、老人(帝釈天)の好きな食べ物を食べさせました。
きつねは、墓の供え物の餅やご飯、アワビやカツオ・様々な魚を取ってきて食べさせたので、老人(帝釈天)はすっかり満足しました。
数日経って、老人(帝釈天)は満足そうにさるときつねを見ながら「あなた達二匹は本当に哀れみ深い。」と感心しました。
老人の言葉を聞いたうさぎは、自分の心を励まして、東西南北探し歩きました、目的のものがどうしても見つかりませんでした。
そこで、うさぎはある決心を胸に、老人の元に行き「わたしはこれからおいしい食事を探してきます。焚き木を拾って火を起こし待っていて下さい」と言いました。
さるが枯れ木を拾い集め、きつねが火を付けて、何かを見つけてくるのか期待して待っていると、いつものようにうさぎが手ぶらで戻ってきました。
さるときつねが「お前は一体何を持って来たんだ。嘘を言って騙したのか!」と問いただすと、
うさぎは「わたしは食べ物を持ってくる力がありませんでしたから、このわたしの身を焼いてお食べ下さい。」といって、火の中に飛び込んで焼け死んでしまいました。
老人の格好をした帝釈天は元の姿に戻ると、全ての生き物達にうさぎの行動を見せる為に、焼け死んだ姿を月の中に移しました。
月の中にうさぎがいるというのは、このうさぎの事です。全ての人は月を見る度に、このうさぎの行動を思い出すでしょう。
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という内容です。
うさぎの行動が、身を犠牲にしてまでも人のためにつくすという行動への賛美なのでしょうが、元々のインドの説話と比較すると、少し寂しさを感じてしまいます。
十五夜のうさぎの歌詞どうだっけ?
月のうさぎの物語が続きましたが、十五夜のうさぎといえば、「う~さぎ、うさぎ~」という童謡を思い出す人もいるのではないでしょうか?
この歌は、「うさぎ うさぎ」というタイトルの童謡で、童謡の中でも文部省唱歌として認定されている歌です。
歌詞は、
「うさぎ うさぎ なにみてはねる 十五夜お月さま みてはねる」
これを2回繰り返します。
月のうさぎとは少し話題が離れてしまいましたが、十五夜のお月様とうさぎは色々な意味でつながっているような感じがします。
まとめ
十五夜のお月様のうさぎの物語は、元々のインドの仏教説話の方がわたしは好きな感じがします。
日本の物語には、インパクトはありますが寂しさを感じてしまいます。
こういうお話は、最後は円く収まって終わって欲しいものです。
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