灘のけんか祭りの由来は?紋、色、順番、お迎え提灯ってなに?

2020年1月11日

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灘のけんか祭りのことを何回か紹介してきました。

ちなみにけんか祭りというようなものは、全国各地にあったようですが、残っている「けんか祭り」の中でで最大の祭りが、灘のけんか祭りです。

はるか昔は、庶民が楽しめる娯楽というとお祭りくらいしかなかったと思いますので、日本全国で年に一度のお祭りで大騒ぎしていたのがエスカレートしてけんか祭りのような形になったのでしょうか。

それでは今回はどのようなことを書いていくかというと、

灘のけんか祭りの由来や個々のものに注目して書いていきたいと思います。

灘のけんか祭りの由来は?

▼灘のけんか祭りの由来はどんなものだったのでしょうか?

松原八幡神社で古くから行われていた例祭の「放生会」が元だったと言われています。

放生会というのは仏教の思想に基づいたもので生類保護や殺生禁止の意味で多くの八幡神社で盛んに行われてた例祭です。

捕まえられている生き物を逃がして放して自由にするという儀式です。

海外ですが今でも道端で売っている鳥とかを買って放してあげるというようなのをテレビ番組で見たことがありますが、そのような感じ?

実際の放生会では、川や河口付近でつかまえた魚を放す儀式をしていたと考えられています。

放生会はすでに、十一世紀から十二世紀に始まっていたと言われていますが、だいたい平安時代中頃から鎌倉時代初め頃になります。

それから過ぎて十四世紀中頃になると厳かに御旅山での神事は行われていたらしく、十五世紀中頃には播磨の守護大名が社殿を再建し松原八幡神社へ米俵200俵を寄進したことを喜び、その米俵を氏子が御旅山の本殿までかついで登ったのをキッカケに、以降は壇尻や太鼓などが一緒に随行するのが認められるようになりました。

そしてその後、祭事への自由参加が認められて、更に江戸時代頃になると、村々で壇尻や屋台を作って祭事に参加するようになり、その後だんだんお祭りは激しさを増していき、更に近年になるほど豪華絢爛な屋台がメインになっていったようです。

▼灘のけんか祭りのお神輿について
古事記や日本書紀にある、神功皇后の三韓(朝鮮半島南部の部族「馬韓・弁韓・辰韓」)征伐への出兵途中で濃霧となり、この場所の漁港によった際に、軍船についた牡蠣を落とすために軍船同士をこすり合わせたという故事から、お神輿を船に見立ててぶつけ合いは激しいほど神意にかなうということだそうです。

お神輿は「一の丸」「二の丸」「三の丸」の三基あり、それぞれに別の松原八幡神社の神様が分乗されています。

灘のけんか祭りの紋や色って?

灘のけんか祭りの屋台は、形としては豪華絢爛に飾りをつけた神輿のような外見ですが、神様は分乗されていないそうです。

その屋台は旧7ヶ村の地区毎の屋台ということで、それぞれ違った飾りなどで特徴があります。

その中に、屋台につけられている紋とシデ棒のシデの色に特徴があります。

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ちなみにシデ棒というのは、長い竹の棒先に何枚もの色紙で円く花のように織り込んで飾ったもので、魔除けの力があるとされて屋台の先導役をしたり、屋台が傾いたときに支える役割もあり、1つの屋台に数十人もがシデ棒をもって参加しています。

紋     シデの色
東山  千成瓢箪  ピンク(桃)
木場  菊水    若緑
松原  左三つ巴  赤
八家  左三つ巴  黄赤
妻鹿  左三つ巴  朱
宇佐崎 昇り竜   黄
中村  五七の桐  青

シデ棒は祭りが近づくと、各地区の沿道に各地区ごとの色のシデ棒が立てられて、華やかですし、「祭り間近だな~」という雰囲気を盛り上げてくれます。

灘のけんか祭り 順番

灘のけんか祭りの屋台には、毎年変わらない宮入の順番があります。

宵宮は7台全ての屋台が神社で宮入りして勢ぞろいしますが、そのときの順番が、
東山、木場・松原・八家・妻鹿・宇佐崎・中村
の順番で宮入りしますが、屋台の他に獅子壇尻がある地区は、獅子舞をしながら屋台を先導します。
こちらのページで少し詳しく紹介しています。
灘のけんか祭りの八家、妻鹿、宇佐崎、中村の特徴とは!
灘のけんか祭りの東山、木場、松原の特徴と露払いダンジリとは!

本宮では、基本的な順番は同じですが、7年ごとに順繰りで来る「練り番」にあたる地区は、屋台を宮入りせずに、最後に入場して3基のお神輿を担いでぶつけ合いをします。

だいたいの宮入の順番の時間は、前に書いたここを参考にしてください。

灘のけんか祭りのお迎え提灯の由来!

屋台練りには年齢制限があり、高校生以上で45歳までの人でないと屋台練りに参加できません。

しかし、木場地区だけには「お迎え提灯」があり、これは灘のけんか祭りへの参加が正式に認められた中学生がもつことになっていますので、他の地区を含めた全地区の中学生の憧れの的になっています。

お迎え提灯というのは、シデ棒のシデの下に、中心に「八幡宮」、向かって左に「船中」、右に「木場港」と書かれた提灯をぶら下げたもので、20本ほどが参加します。

「お迎え提灯」は神功皇后が三韓出兵から凱旋したときに、木場の村人たちが船提灯でお迎えしたという故事によるもので、それが木場地区にいままで受け継がれてきています。

まとめ

灘のけんか祭りの元の祭事は、相当古くから始まったようですが、今とは全く違う厳かな祭事でした。

今の勇壮で豪華絢爛な感じに変わったのは、比較的近年になってからのようです。

今の形の灘のけんか祭りを見物するのも楽しいですが、今回の由来や屋台に関することなどを知っておくことで、また別の楽しみ方もあると思います。

今後は、各屋台の特徴なども紹介していきたいと思います。

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